甲状腺眼症と鍼灸治療
甲状腺眼症とは
甲状腺に関係する抗体が作られることで、眼の周囲の組織に炎症が起こる症状を、甲状腺眼症と呼びます。
少し前まではバセドウ病眼症と呼ばれることもありましたが、必ずしも甲状腺疾患を伴わないこともあり、現在は甲状腺眼症とまとめられています。
症状としては、まぶたの腫れや眼球表面(結膜)の充血、眼球突出、外眼筋(眼球を動かす筋肉)の炎症があります。
こうしたことが原因で、物が二重に見える複視や、眼が飛び出て見える眼球突出が起こるようになります。
顔の印象は眼球突出により大きく変わりますので、以前の顔を知る人(自分も含め)からすると、とても変化が大きく感じます。
そして何よりも、毎日自分の顔を鏡で見る度に、顔を洗うたびに自分の眼球突出を確認することになるため、日々ストレスが溜まるようになります。
当院に来院された患者さまも、その殆どは複視や充血よりも、眼球突出を良くすることを目的にご来院されています。
甲状腺眼症の重症度は 、上の表のように決められていますが、実際の眼球突出の目立ちやすさは、元々の目の大きさや形により大きく異なります。
勿論、顔の大きさでも変わりますので、一概に軽症であるから見た目に分かりにくく、重症であるから分かりやすいとは限りません。
また個々人の感じ方には差があるため、性別や年齢、数値だけでなく、感情の問題も無視してはいけないことは間違いありません。
甲状腺眼症の西洋医学的治療
【ステロイド治療】
ステロイドは副腎皮質ホルモンとも呼ばれ、症状に応じて点眼薬や内服薬、点滴、注射として使用されます。
炎症症状を落ち着けてくれますので、まぶたの腫れや外眼筋の炎症、免疫抑制などに効果があり、最も一般的に使用されます。
ただステロイド剤には一定の副作用※があるため、連続して使用することが出来ません。
※ステロイド剤には、様々な副作用があります。
体全体として起こる免疫抑制などの副作用と、緑内障などの眼科的・局所的な副作用もあります。
【放射線治療】
炎症に対するコントロールとして、ステロイド治療の補助的として使用されます。
眼球突出や外眼筋の炎症に対して用いられます。
【ボトックス注射】
外眼筋が炎症により短縮した方に使用されます。
筋肉を強制的に弛緩させる働きがあります。
【斜視手術】
短縮した外眼筋による複視(物が二重に見えること)に対して、筋肉を一旦切開し、動きやすい位置に変えることで複視を改善させます。
【眼窩減圧術】
炎症により肥厚した外眼筋が視神経を圧迫したり、眼球突出の影響により生活に支障が及ぶ場合などに、眼球周囲の脂肪組織を取り除いたり眼窩を形成する骨を削ることで、眼窩内の圧力を下げる手術です。
眼球を押し出す圧力が減る為、眼球突出が軽減する働きもあります。
手術の方式により複数回の手術が必要であるため患者の心身の負担が大きく、最終手段として用いられることが多い方法です。
【モノクローナル抗体製剤(テプロツムマブ、商品名Tepezza;国内未承認)】
新しい甲状腺眼症の治療薬として、モノクローナル抗体製剤が海外で認可されました。
ただ実際の治療としては不明な点も多く、副作用が強かったり高額なことから、日本国内ではまだ普及しない方法です。
積極的に取り入れる眼科医と、効果に懐疑的な眼科医が少なからずいるため、もう少し様子を見た方が良いのかもしれません。
西洋医学的治療に対する私見
※ここからのお話は、あくまでも一鍼灸師としての私見が入っておりますのでご注意下さい。
他の疾患でも同様ですが、甲状腺眼症に対する治療には、そう多く選択肢が用意されているわけではありません。
そんな中、保険診療で確率論的に治療をする甲状腺眼症の治療は、上手くマニュアル化されてコントロールされているようには思います。
ただし甲状腺眼症の治療では、その元となる甲状腺に対する抗体の異常は内分泌科で、そして眼症に関しては眼科で治療をするため、この両者の連携も問題になります。
大抵の甲状腺専門病院には提携病院がありますし、総合病院内では各科が連携して治療を進めますが、両者はそれぞれ専門家としての立場で治療を行う為、患者からすると多少もどかしい部分もあります。
例えば、眼科では積極的にステロイド治療を行おうとするのですが、内分泌では慎重になりがちな時があります。
こうしたちょっとした方針の違いが、患者にとっては非常にもどかしく感じます。
また甲状腺眼症の治療では、最終的に眼球突出が残った場合には手術療法による治療が行われます。
そのためか、通常の治療をあまり熱心に進めない眼科医もいるようですし、実際に経過観察になる患者さんは多くいらっしゃいます。
それにより患者さんは、「最後は手術があるので、酷くなれば手術をすればいい。」という扱い方(悪く言うと逃げ方)をされているように感じます。
実際には医師にはそんなつもりは無くても、患者の多くは、最も気になる症状が眼球突出であるため、そう受け取ってしまうのかもしれません。
当院に来院される方の多くは、そうした眼科医の方真に失望して来院されます。
さらに患者にとっての手術療法は、心理的、社会的、経済的に、非常に高い壁として立ちはだかります
現在のところ、眼窩減圧術を行う医療機関は限定されているため、患者さんの選択肢としてはそう多くありません。(地方に行くほど選択肢はないでしょう)
私が知る限りでは、減圧術には大きく2種類の手術法があるようですが、専門家ではないため、確定的なコメントは差し控えます。
当院の近くには、一般的な減圧術をする病院しかないようで、その場合には眼窩を構成する骨を削る手術や斜視を矯正する手術など、複数回の手術を受けることになるようです。
もう1種類の手術では、骨を削ることなく脂肪を摘出していますが、当然それだけ手術野が狭いため、技術や知識は必要になると思われます。
残念なことに、この二つの方法を取る医師は、お互いの手術法を非常に否定的に捉えているようですから、この二つの方法を両者の意見を元に決定することは難しいと思います。(セカンドオピニオンを受けても甲乙を判断しにくい)
当院の患者さんは、メリットとデメリットを比べた結果、二つ目の方法で手術を受けましたが、結局私にもどちらが良い方法であるかは判断が付きませんでした。
ただどちらにしても、眼の周囲にメスを入れて手術をする限り、ある程度のリスクを負った上で手術を受けることになります。
しかも一般的な減圧術では、術後に強い痛みや顔貌の変化があり、社会活動の復帰までに時間を要します。
多くの人が、この減圧術があることを知りながら、二の足を踏んでしまうのは、仕方が無いことかもしれません。
特にその方の甲状腺眼症が、命には別状が無い状態で、容貌(見た目)以外には問題が無い場合、手術という選択はより難しい選択肢になります。
患者にとっては、投薬・放射線治療と手術との間の壁は、果てしなく大きなものに感じているのではないかと思うのです。
そこで、その隙間を埋める存在として、鍼灸治療が存在出来ればと個人的には考えています。
手術しか症状改善の方法がないと諦めかけていた方にとって、鍼灸治療が救いになれば幸いです。
甲状腺眼症と鍼灸治療
甲状腺眼症に対する鍼灸治療では、次のような変化が期待出来ます。
・炎症が沈静化することでの眼球突出の軽減
・外眼筋の炎症鎮静化による複視改善
・視機能の向上
・眼の不快症状の軽減
・結膜の充血が治まる
ただしこうした変化は、確定的に起こるものではありません。
特に眼球突出は、鍼灸治療を受けて頂く時期がとても大事になります。
鍼灸治療により眼球突出が軽減する時期は、※1まだ眼窩内の炎症症状が残っている時期(後述あり)です。
眼科内の症状が※2炎症症状が治まり、脂肪組織が増殖したことで起こる眼球突出は、鍼灸治療では不適応(後述あり)になると考えられます。
脂肪組織の増殖や眼窩の炎症症状は、病院での検査が必要ですので、※3鍼灸院単独で治療を進めることはお勧めしません。(後述あり)
少なくとも経過確認では眼科を受診して頂き、鍼灸治療の適応時期を確認しながら、眼球突出の改善を試みる必要があります。
大きな意味での眼球突出は、眼窩内での炎症や眼瞼の浮腫、そして脂肪組織の増殖により起こります。
鍼灸治療では、眼窩内の炎症軽減と眼瞼の浮腫軽減に対して働き掛けると思われるため、炎症が落ち着いてしまうと、眼球突出自体の軽減作用は無くなります。(追記※1~3参照)
高い抗炎症作用を持つステロイド剤は、こうした炎症症状に対して第一選択で行われますが、連用すると副作用が起こるため、連用は出来ません。
鍼灸治療にはこうした副作用がないため連用することが出来ますし、投薬との相性もいいため併用して受けて頂くことも出来ます。
受ける時期さえ間違えなければ、甲状腺眼症の補助的治療として、手術療法を受ける程ではない眼球突出や、その他症状(複視、眼痛、循環障害など)に対してぜひ受けて頂きたい施術です。
鍼灸治療を受けて頂いた甲状腺眼症による眼球突出では、平均的に2~4mm程度は眼球突出が軽減しているようです。
当院でのヘルテル氏眼球突出計での計測だけでなく、眼科医による定期検査での計測でも同様の結果が得られています。
※1:最近の臨床ではそうではない例も増えてきました。かなり長い期間に渡り効果が出ています。
※2:既に眼科で症状固定と言われた方でも、鍼灸治療により眼球突出が改善する方が出てきました。
※3:これも最近は考えに変化があります。 一度は眼科の受診をお勧めするのは同様ですが、それ以降は状況を見ながら鍼灸治療単独でも良いとも思うようになりました。
これは鍼灸単独でも十分に効果が出ることが実証されてきたことと、眼科の経過観察が必ずしも患者さんにとってプラスに働いていない場合があるためです。
<以上2021.1月15日追記>
鍼灸治療の頻度と期間
鍼灸治療を受けて頂く時期は炎症期のみであるため、一般的に短期決戦と言えます。(例外もあります)
そのため、早い時期に出来るだけ高い頻度で受けて頂くことで、少しでも早く炎症を抑え、脂肪組織の増殖を防ぐ必要があります。
そこで頻度としては、最初の3~6カ月は週2回を設定しています。(通常は3か月)
週1回と週2回では明らかに変化の量が違う為、出来るだけ週2回の施術をお薦めします。
炎症が続いている期間は人により違い、最長で数年に及びますので、最初の3カ月以降の変化は、患者さんの状況により話し合いで決定します。
小児の場合には、基礎疾患である甲状腺疾患のコントロールに時間を要する可能性が高いため、日常生活や学校に無理の無い頻度で続けて頂く方が良いでしょう。
成人であっても小児であっても共通の治療院選びの条件は、通院が比較的楽に出来る治療院を探すことです。
これは通院時間や距離、費用、経験値などを総合的に判断して決める必要があります。
疑問があれば積極的に質問し、その回答や態度などを冷静に判断して下さい。
場合によっては1度初診をを受けた上で、コミュニケーションを十分に取ることが出来る鍼灸師を選ぶと、良い治療が受けることが出来ると思います。
コミュニケーションが十分に取ることが出来ないと、様々なストレスの原因になり、継続して治療を受けることが苦痛になります。
患者さんからよくお話として、難病を専門的に診ているという中国人鍼灸師と、コミュニケーションを取ることが出来ずにストレスが溜まったというものがあります。
よくある誤解に、中国人鍼灸師はレベルが高いというものがありますが、しっかり経験値を積んでいる鍼灸師であれば、日本の鍼灸師はとても優秀です。
むしろ日本人の体質をよく理解し、日本の医療を理解している分、私が治療を受けるのであれば、腕の良い日本人鍼灸師を選びます。
治療院選びを冷静に行うだけでも、甲状腺眼症の鍼灸治療は効果を挙げやすくなるはずです。
なぜなら甲状腺眼症は、数ある眼科疾患の中でも、比較的効果が挙がりやすいものだからです。
ぜひ治療の一環として、鍼灸治療を選択肢の一つに入れてみて下さい。
複視に対する鍼灸治療
甲状腺眼症により現われる症状の一つに複視があります。
複視とは物が二重に見えることで、甲状腺眼症による複視は、左右の眼球運動に差が出来てしまうことから起こります。
甲状腺眼症になると眼窩内の軟部組織に炎症が起こりやすくなりますが、その影響が「外眼筋」という眼球を動かす筋肉に起こることで、線維化という現象が起こります。
線維化を起こした筋肉は伸縮性が失われることから、動きが悪くなってしまいます。
そのため6つある外眼筋の内、線維化を起こした筋肉の働きが悪くなり、左右の眼球運動が乱れることで複視が起こります。
複視は眼球運動によって顕著に現れますので、特定の目の動かし方をした時だけ複視が出ることもあります。
こうした場合には複視自体に気付かず、知らない内に症状が進行することもありますので注意が必要です。
西洋医学的には、炎症を起こしている眼科内組織に対するステロイド治療や放射線治療を行いますが、その後も複視が治らない場合には手術療法の適応となります。
当院では今まで、甲状腺眼症による複視は、外眼筋の線維化という器質的な問題に起因することから、治療対象ではないのではないかと考えていました。
ところが治療方法の工夫により、こうした複視に対しても一定の効果を挙げることが分かってきたため、こちらに新たに項目を付け加えました。
当院での鍼灸治療では、東洋医学独特の概念である経絡や経穴というものを使い、外眼筋に働きかけることで、外眼筋の運動性を高めています。
効果の出方には個人差がありますが、眼窩内の炎症をある程度コントロール出来ていれば、比較的短期間でも変化が表れやすいようです。
ただ甲状腺眼症という病気の性質上、症状が安定するまでには時間が掛かるため、数回の施術で完了とはいきません。
しっかりと症状を安定させるためには、数カ月から数年かかることもありますので、根気強く施術する必要があります。