大阪日本橋 
眼病の鍼灸
鍼灸ひより堂

大阪日本橋の鍼灸ひより堂です。
当院では現代医学では治療法がないと言われてしまった眼科疾患に対して、鍼灸治療によるアプローチをしております。
来院される患者さまの約95%は眼科疾患や眼科症状にお悩みの方々です。

院長のプロフィール

冨田秀洋
院長

<氏名>

 

冨田秀洋(とみたひでひろ)

 

<生年月日>

 

1971年6月15日

 

<資格>

 

健康運動実践指導者(大阪ハイテクノロジー専門学校卒)

鍼灸師(明治東洋医学専門学校卒:国家資格)

柔道整復師(平成医療学園専門学校卒:国家資格)

 

<所属学会>

 

日本不妊カウンセラー学会

日本生殖医学会

全日本鍼灸学会

 

<経歴>

 

 ご覧頂きありがとうございます 私は、鍼灸ひより堂 院長の冨田秀洋です。

 

 

では、私のプロフィールをご紹介させて頂きたいと思います。

 

【幼少期~高校生】 

 

 幼稚園から小学4年生までは、神戸市東灘区に住んでいました。

夏場の日中は、殆どの時間を、住吉川での魚捕りに費やしていました。

また、日曜になると父親との魚釣り、というのが日常のパターンでした。

 

 小学校5年生で、現在の実家がある、神戸市垂水区に引っ越しました。

中学生になると、バレーボール部に所属していましたが、それほど強豪校というほどではありませんでした。

 

その後、高校生でも3年間バレーボール部に所属しました。

この学校も弱かったですが、ほぼ初心者というチームでしたから、仕方が無かったかもしれません。

 

ただ幸か不幸か、全日本の元候補選手という若手バリバリの教員、そして新卒の教員に鍛えられ(しごかれ)、練習の厳しさだけは実業団レベルという、地獄の部活でした。(しかもキャプテン)

 

部活動を引退して進路を選択する際に、学生時代にスポーツしかしていなかった私は、何らかの形でスポーツに関われるようにと考え、スポーツトレーナーへの道を選択しました。

 

 

【高校卒業~トレーナー専門学校】

 

 高校を卒業する際に、スポーツトレーナーへの道を志したのですが、今は亡き父親から、「もう少し広い世界を見てから仕事を決めても良いのではないか。」という助言をもらったことで、専門学校への入学を1年遅らせました。

 

この1年間で、高校まででは経験をしたことが無かった、貴重な経験を沢山することが出来ました。

1年遅れで専門学校に入学し、基礎的なスポーツ医学やトレーナー業務のことを勉強しましたが、そのまま就職する気がせず、もう1年専攻過程で学ぶことになりました。(専攻過程では奨学金という名の給料が出ていました。)

 

専攻過程の1年間は、在学生(1~2年生)の授業の補助と共に、実習として大阪市内の病院でリハビリの仕事をしていました。

またプライベートでは、神戸市内の女子高校で、バレーボール部のコーチ兼トレーナーとしてお世話になりました。

 

専門学校に在籍した3年間は、仕事に関する意識が大いに変わった3年間でもありました。

専門学校入学までは、スポーツ業界に特化した仕事をするつもりでしたが、入学後に整体を習い始めたことで、もっと広い分野の人を治療したいという思いが強くなりました。

 

【就職~鍼灸学校入学】

 

 初めての就職は、大阪市北区の個人医院の理学療法室でした。

その病院は、私が実習でお世話になっていた病院で、そのまま就職となったのです。

 

その病院では、私と入れ替わりで理学療法室を辞めて開業した柔道整復師がいました。

その病院では、患者さんから度々辞めた柔道整復師の話を聞く機会がありました。

 

その柔道整復師の話題が出る度に、「素晴らしい技術だった。」「すごく知識があった先生だった。」という絶賛だったことで、居ても立ってもいられなくなりました。

そこで一念発起してその先生を訪ね、その日の内に就職を決めてしまいました。

 

まだ開業して1年も経たない整骨院でしたが、良い時代だったこともあり、非常に忙しかったことを思い出します。

整骨院に勤務し出したことで、国家資格を取得することを考えました。

 

勤務先の院長が卒業した学校に入学したいと思い受験したのですが、結果的に合格したのは、柔道整復学科ではなく鍼灸学科でした。

鍼灸学科入学と共に、職場を変わり、市内の整形外科に勤務し出しました。

 

【鍼灸学校時代~開業】

 

 鍼灸学校に入学と共に勤務し出した整形外科で、中医学の専門家である鍼灸師と出会ったことで、中医学や東洋医学に興味を持つようになりました。

また鍼灸学校時代に、友人の勧めで中医学の第一人者が主催する研究会に所属し師事しました。

 

その研究会には、その後3年ほど在籍し、多くの経験を積ませて頂きました。

 

鍼灸学校を卒業後、平成13年4月20日、大阪市北区中崎町に「鍼灸陽和堂(しんきゅうひよりどう)」を開業しました。

現在のひより堂は、その時に付けた名前と同じですが、あまりにも「ようわどう」と読まれるため、ひらがなに改名しました。

 

開業後は、柔道整復師の免許も取得し、ひより堂鍼灸整骨院として、従業員を雇い、場所も移転して運営をしていました。

 

【廃業と再開業】

 

 私は実際のところ、商売上手ではないようです。

現在まで開業期間だけでも20年ほどしていますが、経営状態は「山あり谷あり」というか、「大きな谷と小さな谷」の連続でした。

 

そこで平成29年に一旦治療所を廃業し、経営や新しい治療を学ぶために、鍼灸院の一雇われ院長として勤務しました。

その中で、1年間は経営コンサルタントの講義を受け、経営や人材育成の勉強を一からさせて頂きました。

 

そして令和元年5月30日に、現在の大阪市中央区日本橋に、「鍼灸ひより堂」を開院しました。

 

【現在の鍼灸ひより堂】

 

 私は、開業前から妊娠や出産にまつわる体作りに興味がありました。

私自身も4人の子を持つ父親ですが、妊娠前からの体作りや、産後の養生、幼少期の体作りが、一生を通じて一番大事な時期だと身をもって知っているからです。

 

そこで開業当時から、妊活鍼灸(不妊鍼灸)に大々的に取り組んできました。

そんな中、中医学の繋がりで知り合った、愛知県千秋市の千秋鍼灸院(院長:春日井真理先生)から、眼科鍼灸提携のお誘いを受けました。

 

それまでは、結果的に眼科疾患を施術したことはあるものの、専門的に施術する立場ではありませんでしたが、春日井先生と提携してからは、数多くの眼科疾患の患者さんを施術してきました。

 

今では、眼科疾患の患者さんが、全体の7割程度を占めるようになりました。

そこで今年になり、院内で簡易な検査が出来るように、様々な検査器具を揃えることが出来ました。

 

 今後は、より一層眼科疾患の研究を深め、治療法が無く諦めがちな眼科疾患の方に、希望を持って生活をして頂ける様に頑張ります。

10年、20年後の未来が明るくなるように、妊活鍼灸、眼科鍼灸、痛みの鍼灸、メンタルの鍼灸でお手伝い出来ればと思っております。

 

検査機器.png

 

 

190626_0026.jpg

 

 

 

190626_0033.png

 

 

 

 

 



2024.10.09 Wednesday