網膜色素変性症の鍼灸と実際の症例
網膜色素変性症とは
網膜色素変性症は、遺伝子の異常により網膜の視細胞に変性を来たしてしまい、慢性的に症状が進行する眼科疾患です。
現在の日本では、4,000人~8,000人に一人の割合で発病すると言われています。
遺伝病というと親子代々伝わるイメージがあると思いますが、こうした遺伝をするものは全体の約50%だと言われています。
残りの50%は遺伝子に突然の変異が起こったものです。
網膜には2種類の視細胞がある
網膜には、主に光の明暗を感受する桿体細胞と、色彩や視力を感受する錐体細胞の2種類の細胞が存在します。
網膜色素変性症は桿体細胞が先に障害されるため、症状としては明るさを感じる力が先に障害されます。
そのため初期症状として夜盲症状が現れます。
また桿体細胞は網膜の周辺部に多いため、桿体細胞が障害されると周辺視野が障害されるため、視野狭窄も初期症状として現れます。
逆に錐体細胞はある程度症状が進んでから障害されるため、中心の視力や色彩感覚は比較的維持されます。
併発する眼科疾患に注意
網膜色素変性症を発病された方は、緑内障や白内障、黄斑浮腫を発症しやすいことが分かっています。
現段階では網膜色素変性症に対する有効な治療法は存在しない為、眼科への通院を止めてしまうからもいらっしゃいますが、併発症(続発症)のことを考えれば、通院を止めることはお勧め出来ません。
網膜色素変性症に対する正しい情報を集めて頂いて、適切な通院頻度を守ることで、10年、20年単位での視機能を守ることが出来ます。
網膜色素変性症の鍼灸治療
下の視野検査は、私が10年以上鍼灸治療を行っている網膜色素変性症の女性患者さんのものです。
<50代女性 通院歴11年>
残念ながら10年前の視野検査はありませんが、この10年以上、殆ど視野狭窄が進行せず、職場にもカミングアウトせずにお仕事を続けていらっしゃいます。
恐らく年齢と共に視機能は低下しているはずですが、日常生活で困るということはないそうです。
網膜色素変性症の鍼灸治療では、完治が目的というよりも、鍼灸治療により出来るだけ視覚機能を向上させた上で、症状の進行を予防するということが目的になります。
元々の症状に個人差が大きいため、単純に患者さんの年齢や発症からの時間では判定が難しいのですが、少なくとも上の患者さんでは、日常生活には支障が出ていないため、成功例ではないかと思います。
この患者様以外にも、当院には数年以上来院されている眼科疾患の方が、数多くいらっしゃいます。
網膜色素変性症の治療内容
鍼灸治療の目的としては、眼の周囲の血流を増やすことが主たる目的になります。
血流を増やす方法は、主に2点です。
1.局所的な反応を利用して目の血流を増やす。
2.全身の循環状態を改善して目の血流を増やす。
同じ循環改善でも、この2つの方法は施術内容が違います。
1の場合には、局所的な鍼がメインですから、目の周辺に鍼を刺していくことになります。
<イメージ画像:当院患者さん施術は冨田>
上の画像にある鍼は、国内メーカーのセイリン社製ディスポーザブル鍼で、長さ15mm 太さ0.12mmのものです。
眼の周囲は非常に内出血しやすいため、かなり細い鍼を使用して施術しています。
当院や眼科疾患を専門的に扱う提携治療院での経験から、長く太い鍼を使用して高刺激をする施術と、短く細い鍼で的確に刺激量をコントロールする施術とでは、効果に差が無いことが分かっています。
むしろ適切な治療点(ツボ)や刺激量の方が重要であると思われます。
治療院の中には、高刺激・高負荷の施術を売りにしているところがありますが、個人的にはこうした施術に対して否定的な考え方を持っています。
特に顔面部の電気刺激(パルス通電)では、電気刺激により新たな神経回路が出来ることで、病的共同運動※1が起こることがありますので、注意が必要です。
※病的共同運動:顔面神経麻痺の回復期などに起こる現象。口を動かすと眼が動いてしまうなど、病的な筋収縮が起こる。
病的共同運動は、顔面神経麻痺の回復期だけでなく、通常の場合でも起こり得るようなので、顔面部には気軽に電気刺激を流すべきではないと思います。
どこにでも電気を流す中国針や、筋肉を引きつらせる目的の美容針などでは、安易にパルス通電を使いがちですが、こうしたことを知らずに使用しているとすれば非常に危険なことです。
さてもう一つの目的である全身の循環障害に対しては、全身の自律神経を調整するような鍼灸治療が必要です。
全身の自律神経を調整する方法としては、 比較的脳にアプローチしやすい手足のツボを利用した方法と、全身に表れる不快症状を取り除く方法があります。
手足のツボを利用する方法は、東洋医学的には本治法(ほんちほう)と呼ばれます。
これは肘や膝から先にあるツボを利用して、全身の調整を一気に行う方法です。
本治法を正確に行うためには、脈診や舌診、腹診や背候診を行いながら、ツボを決定する必要があります。
<イメージ画像:照海穴の本治法 手は冨田>
本治法が成功すると、手足が温まり、内臓機能が活発になるのが自分でも分かります。
次に全身の不快症状を取り去るための施術になります。
不快症状の内容は人にもよりますが、多くの眼科疾患の方は、首や肩の凝り、腰痛、冷え症、眼の奥が痛いなどの症状を訴えます。
そのため、後頚部や背中、腰、側頭部など、治療範囲は他部位になることもあります。
またそれ以外にも、私から見て明らかに問題があるところも、施術の対象部位になります。
<イメージ画像:首肩のコリに対する鍼>
【症例 20代男性 府外在住 会社員】
患者:府外在住 20代 男性
病名:網膜色素変性症
症状:視野狭窄、視力低下、夜盲、
【経過】
・小学生の頃から視野狭窄を感じていた。
・症状が徐々に進行し、白内障を発病。
・現在は障碍者手帳を所有。
・高校生時代からチック症候群を発症。
・仕事がPC作業のため辛い。
・眼精疲労や目がチカチカする感じがする。
・当院の提携治療院から紹介されて来院。
【初回カウンセリング】
眼科での検査を継続しているのですが、西洋医学的には治療法がないため、インターネットで提携治療院である千秋鍼灸院を訪問したそうです。
その後、提携治療院である当院を紹介されて来院されました。
大阪からはかなり距離がある場所から来院されましたが、交通アクセス的には大阪市内中心部であるため、通うことは可能とのことでした。
眼科疾患の場合、提携治療院を通じてご紹介を受けることがありますが、個人的にも最寄りの鍼灸院が良いと思います。
これは、通うこと自体が心身の負担になることを避けるためです。
初回カウンセリング時には、当院にまだ検査機器が届いておらず、検査が出来なかったことが残念ですが、丁度コロナ禍で通院が不可能になってしまったため、リセットする形で施術再開時に視野検査をすることが出来ました。
施術再開時は、初回カウンセリングからかなり時間が経ってしまい、コロナ禍でのストレスも手伝ってか、かなり目の状態が悪いように感じました。
その時の簡易視野検査がこちらです。
左眼の視野はかなり欠損が多く、ほぼ中心部しか見えていません。
ちなみに健常者なら、この図の全てが見えるはずです。
右眼はやや視野が保たれていますが、それでも足元はあまり見えていない様子が分かります。
普段の生活でも、紫外線を避けるために、かなり濃い色でフレームの太い遮光眼鏡をかけていることもあり、余計に視野は制限されていると思います。
ご本人の希望としても、症状の進行予防と共に、少しでも視野を回復させたいという思いがありました。
【実際の施術】
実際の施術では、当院の場合にはうつ伏せから施術を始めます。
仰向けから始めるとうつ伏せで終わることになり、直ぐに起き上がって活動すると、眼が見え難いことがあります。
また最後に仰向けに寝て頂くことで、リラックスした状態で、目を休めながら鍼灸治療を終えることが出来ます。
さてこの患者さんの場合には、高校生の頃から続くチック症状があるため、精神安定を図ることも重要な目的の一つです。
眼科疾患は、心理的な負担が影響して症状が進行することもありますので、背部のツボを使って緊張を緩めながら、目の血流に関係する後頚部にも鍼をしました。
使用した鍼は、長さ30mm 太さ0.18mmと長さ30mm 太さ0.2mmのものです。
さらにそのままの状態で、10分程度休んで頂きました。
次に仰向けになって頂いて、眼の周囲に鍼をさせて頂きました。
使用した鍼は、長さ15mm 太さ0.1mmと長さ30mm 太さ0.12mmのものです。
また足には長さ15mm 太さ0.16mmの鍼で本治法を行いました。
こうした施術を、約2カ月続けた後の視野検査がこちらです。
では2か月前の視野検査と比べてみましょう。
先ず進行が速い左眼ですが、頭部と足元左右方向の視野が改善しているように見えます。
次に右眼ですが、特に上下方向で視野の拡大があるように見えます。
ただ残念ながら、この程度の改善では、ほぼ自覚的には分かりません。
視野狭窄は、進行しても徐々にであれば殆ど気付かず、改善しても少しであれば全く気付かないのです。
こうした視野の記録は、持続的に計測して初めて意義があるものです。
そのため、もし数年後にこの状態を保っていたとしたら、大変意義のあることだと言えます。
今後も、継続的に視野検査を続けていく予定です。