眼瞼痙攣(けいれん)の羞明は眩しさよりも痛みに近い
眼瞼痙攣(けいれん)と羞明
眼瞼痙攣による症状の中でも、最も辛い症状の一つとして、眩しさを過剰に感じる羞明(しゅうめい)が挙げられます。
羞明は強い光の元であれば健康な方でも感じますが、眼瞼痙攣で見られる羞明ではごく弱い光でも苦痛を感じ、悪化すると例え室内であっても遮光カーテンで光を遮った中でサングラスをかけるほどに悪化することもます。
羞明のことを知らない方は、たかが眩しさ(明るさ)と思うかもしれませんが、羞明は単なる眩しさではありません。
眼瞼痙攣で現れる羞明は、眩しさと言うよりも痛みに近い感覚なのです。
目に関連する感覚
目が脳に伝える感覚(五感)としては、視覚と痛覚(触覚)というものが存在しています。
視覚は普段私たちが「見る」という感覚のことを言いますし、痛覚とは目やその付属器が感じる「痛み」のことを言います。
この二つの感覚が、眼瞼痙攣で生じる羞明と深く関わっていることを先ずは知って頂きたいと思います。
目を視覚(見る)として使う場合には、光が角膜から水晶体、硝子体、そして網膜に伝わり、電気信号に変換されて視神経を通して脳に伝わります。
一方目で痛覚を感じる場合には、痛み刺激に反応した痛覚器が反応し、それを三叉神経(眼神経)が脳に伝えます。
つまり羞明に関係する二つの感覚(視覚と痛覚)は、それぞれ伝える経路(神経)が違うと言うことです。
羞明と二つの神経
太陽を直接見ることが目にとって悪いことなのは、多くの方がご存じであると思います。
これは目に入って来た光エネルギーが強過ぎると、光が網膜を傷付けることに繋がるからです。
こうした強過ぎる光は網膜にとって有害であるため、羞明(眩しさ)を感じることは目を守るためにはとても大事なことです。
つまり視神経を通して感じる羞明は、光による網膜への刺激を避けるための感覚であると言えます。
一方で三叉神経(眼神経)が感じる羞明というのは、眩しさと言うよりも痛みに近いものだと表現した方が良いでしょう。
この三叉神経が感じる羞明というものは、網膜から視神経を通して感じている羞明と違い、必ずしも光の強さとは関係ないようです。
そのためサングラスや遮光カーテンで光を遮っても、痛みに近い感覚としての羞明は感じることが多く、日常生活が送り辛くなることが多いようです。
また羞明に関係する二つの脳神経(視神経・三叉神経)は、精神的な状態の影響を強く受ける傾向がある為、物理的な治療だけではなく、精神科での適切な治療を必要とすることもあります。
これは臨床家であればよく感じることではないかと思いますので、今後は認知行動療法などとの併用をする必要性が高まるかもしれません。
そういう意味では、慢性疼痛や線維筋痛症などとも関連付けて考える必要があるのかもしれません。